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浄土真宗大谷派 東本願寺
眞念寺
文明2年(1470)蓮如上人が江州の南津田に来られた時、村人がこぞって蓮如上人の説法を聞き、浄土真宗の教義に帰依して、仏法を聞法する道場を建立された。蓮如上人が建立した道場を「惣道場」とし、惣村の小林又左衛門(法名長春)が道場を守った。その後、元亀年間、信長との11年間にわたる本願寺合戦では、嫡子又左衛門が山科本願寺攻防戦で戦死、次男又二郎は堅田で戦死、三男の慶正が道場を嗣ぐ。五代慶春従軍し戦死。六代慶善の時、教如上人に帰依し大谷派に属す。
織田信長の跡を継承した豊臣秀吉は、本願寺の法主、顕如上人と顕如上人の第三子准如と和解して、京都に本願寺を建立する(現在の西本願寺)が、秀吉との和解を拒んだ顕如上人の長男教如は大阪にあった石山本願寺を焼いて、紀州を初めとして各地を転々とする。
いよいよ本願寺が東西本願寺に分かれようとする慶長年間に、教如上人がたびたび「惣道場」に来て慶善と共に、新しい本願寺建立に力を注がれる。
慶長8年(1603)教如上人は東本願寺の初代法主になり、それ以来、教如上人を屡々お迎えして、「眞念寺」という寺号を賜って、湖東地方の東本願寺末寺の中心寺院としての役割を果たしてきた。
享保9年(1724)南津田一帯が大火に見舞われ寺も焼失する。その後、村の中にあった当寺は山を削り現在地に移転した。享保15年(1730)に再建された。本尊阿弥陀如来はもと船木西願寺の仏像であったが寛文2年(1662)に夢想上人により当寺に安置されたと伝える。
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